2025/06/07

JFK暗殺 ジョン・コナリー犯行説を徹底検証: 2062氏「暗号解読をすれば理解できる。」

 『JFK暗殺事件で、 致命となる銃撃をした犯人が同じ車の前列にいたジョンコナリーであったとする説があります。 これが正しいと仮定したとき、 具体的犯行動機および実行しうる技術的適合性の有無を調査、評価してください。』


以下、ChatGPTの回答コピペ↓ 



ジョン・F・ケネディ暗殺事件におけるジョン・コナリー犯行説の検証

1. ジョン・コナリーの銃器取扱能力

ジョン・コナリーは第二次世界大戦中にアメリカ海軍に所属し、数年間の軍歴を持っていました。戦時中には空母で戦闘指揮にあたり、勇敢な行動によりブロンズスターメダルを受章しており、基本的な射撃訓練や銃器の取り扱いに習熟していた可能性があります。またテキサス州出身のコナリーは熱心なハンターとしても知られ、日常的に銃に親しんでいたとされています。事実、暗殺当日ダラスのディーリープラザで最初の銃声が鳴り響いた際、コナリー知事は即座にそれをライフル銃の発砲音だと認識し、危険を察知して振り向いたと証言しています。この証言(ウォーレン委員会への供述)からもうかがえるように、コナリーは銃声を即座に聞き分け判断できるだけの知識・経験を備えていたと言えます。軍での訓練と狩猟経験に裏打ちされたこうした銃器への習熟度は、仮に彼が隠し持った銃を操作する状況があった場合にも迅速かつ正確に対処できる素養を示唆するものです。

2. 技術的適合性の検証

暗殺当日の大統領車両(オープンカー)における座席配置やコナリーの位置関係は、彼が銃を発砲しケネディに命中させることが物理的に可能だったかを検討する上で重要です。大統領夫妻が後部座席に着席し、その前方の右側ジャンプシートにコナリー知事(左側に妻のネリー・コナリー夫人)、さらに前列に運転手のビル・グリアとシークレットサービスのロイ・ケラマンが同乗していました。コナリーは大統領のすぐ前方右寄りに位置しており、オープントップの車内には遮るものがなかったため、振り向けば至近距離から後方のケネディ大統領に銃口を向けられる位置関係にありました。実際、最初の発砲音の直後にコナリーは右後方(自分の右肩越し)を振り向き、次いで左後方の大統領の方を振り返ろうとしています。この動作は、彼が車内で身を翻して後部座席の大統領に視線(ひいては銃口)を向ける時間的余裕があったことを示唆します。 また、弾道学的・映像証拠の観点からも、コナリー犯行説を裏付けうる要素が指摘されています。ザプルーダー8ミリフィルムに記録された映像では、致命傷となったケネディの頭部への銃撃の瞬間、大統領の頭部は激しく後方(左後方)へ弾け飛ぶ様子が確認できます。多くの観察者はこの後方への反動を**「右前方」からの銃撃の結果だと捉えており、血痕分析の専門家シェリー・グティエレスも「大統領の頭部への致命傷は右前方から放たれた銃弾によるもの」と結論付けています。コナリー知事はケネディから見てほぼ前方かつやや右寄りの位置にいたため、もし彼が発砲したとすればちょうど右前方からの弾道が成立し得る位置関係になります。また、当時多くの目撃者が「発砲直後に現場で火薬の匂いを感じた」と証言しています。銃声が響いたディーリープラザは屋外であり、仮に狙撃者が離れた高所(教科書倉庫ビル6階)にいれば周囲で火薬の匂いを嗅ぐのは通常困難です。しかし少なくとも一発が地上レベルで発射された場合にはこうした硝煙の匂いが広がり得るため、車両周辺からの発砲を示唆する証言と見ることもできます。事実、事件当日に現場にいた警官や傍観者の中には「銃声がすぐ近く(グラシーノール付近)から聞こえた」と感じた者も多く、複数の人々が柵の後ろに発砲閃(マズルフラッシュ)**を見たとの証言もありました。 さらに、ケネディ暗殺に関する近年の研究やネット上の解析動画では、車内の同乗者による発砲説がいくつも提起されています。例えば陰謀論研究者らは「ザプルーダー映像のあるコマに映るコナリー知事の動きに注目すると、不自然な体のひねりが見られる」「コナリーの手元に光る物体が映っているように見える」等と主張し、コナリーが隠し持った小型拳銃を発射した可能性を論じています(同様に、運転手のグリアや妻ネリー、他の随行エージェントが発砲者だとする説も存在します)。これらの主張は公式記録では支持されていないものの、車内犯行が物理的に不可能と断じきれないことを示唆する材料として引用されています。総じて、コナリーが至近距離からタイミングを合わせて発砲しさえすれば、オズワルド単独犯行説で想定される弾道(後方高所から)とは異なる角度・特徴を持つ致命弾道が生じうることになります。以上の点から、銃撃の角度・距離・タイミングの観点では、コナリー犯行説は理論上は成立し得る余地があると考えられます。

3. 犯行動機に関する仮説

コナリーがケネディ暗殺という大罪を犯すに至った可能動機については、様々な仮説が唱えられています。陰謀論的な見解では、コナリー個人の事情というよりテキサス政界の権力闘争や利害関係、さらには当時の政治的・経済的背景が動機と結び付けられることが多いです。以下に主な仮説を挙げます。

  • ジョンソン大統領への忠誠と政治的野心: コナリーはリンドン・B・ジョンソンの腹心として政界で台頭した人物であり、ジョンソンとは長年の盟友関係にありました。1963年当時、副大統領だったジョンソンはケネディ暗殺によって大統領の座を継ぎますが、陰謀論者は「ジョンソンこそが暗殺の黒幕であり、最も利益を得た人物」と指摘しています。実際、ジョンソンはケネディ兄弟を嫌悪し、1964年選挙で副大統領候補から外されることを恐れていたとも言われ、これが暗殺に加担した動機になったとする説があります。コナリーはジョンソン陣営の一員としてその計画に組み込まれ、**「テキサス出身のジョンソンを大統領にする」ために敢えて汚れ役を引き受けた可能性があるという主張です。コナリー自身、ケネディ政権で海軍長官を務めた後にテキサス知事へ転身しましたが、政治思想的には民主党内でも保守派(ジョンソン派)**に属し、リベラルなケネディとは確執もありました。例えば1960年の民主党大会では、コナリーは「ケネディは健康不安(アジソン病)がある」と触れ回り大統領候補として不適格だと主張しており、両者の間に微妙な軋轢があったことが窺えます。このような背景から「ジョンソンとコナリーは共謀関係にあり、政敵ケネディを排除して権力掌握を図った」という陰謀シナリオが語られています。実際に暗殺後、ジョンソン大統領の下でコナリーは事件の被害者として同情を集め、その後も1964年・66年とテキサス州知事に再選(高支持率で圧勝)し、後には政党を乗り換えてニクソン政権で財務長官に任命されるなど、結果的にキャリアを大きく伸ばしました。こうした事実も、陰謀論者には「コナリーは暗殺により得をした人物の一人」と映っています。
  • テキサス財界・軍産複合体の利益: コナリーはテキサスの石油業界や財界とも深い繋がりを持っていました。知事就任前には著名な石油王シド・リチャードソンの顧問弁護士を務め、その莫大な資産管理にも関与するなど、いわゆるテキサス石油利権の中枢に位置していた人物です。一方、ケネディ政権は石油資本に不利な石油枯渇控除(税制優遇)の見直しを検討していたと言われ、また国防費の抑制やベトナムからの撤退志向など、軍産複合体にとって脅威となる政策も示唆していました。実際、陰謀論の一つでは「ケネディ暗殺後にジョンソン政権が誕生したことで、石油枯渇控除は据え置かれ、テキサスの石油長者たちは1億ドル以上もの利益を守った」と指摘されています。ジョンソンの顧問弁護士バー・マクレランは著書で「ケネディ殺害の黒幕はジョンソンとその親友エドワード・クラークであり、資金提供者は石油王のクリント・マーチソンやハロルド・B・ハントらテキサスの大富豪たちだった」と暴露しています。コナリーはまさにそのテキサス「オリガルヒ」の一員・代弁者として行動していた人物であり、彼自身の利害や周囲からの圧力がケネディ排除に傾く土壌があったという見立てです。言い換えれば、コナリーにとってケネディ暗殺はジョンソンのみならず地元テキサス財閥の利益を守る行動でもあった可能性があるとされています。ケネディ亡き後、ベトナム戦争の本格化によって軍需景気が続き、また石油減税措置も維持されました。こうした展開はテキサスの政財界に恩恵をもたらし、コナリー自身もその恩恵に浴したとみる向きがあります。
  • 個人的な確執・報復説: 上記の大きな政治的・経済的動機に加え、より個人的な動機を推測する声もあります。その一つがオズワルド逆恨み説です。コナリーは1961年まで海軍長官を務めており、その在任中にリー・ハーヴェイ・オズワルド(元海兵隊員)がソ連亡命などの問題行動により「不名誉除隊」となった経緯があります。1962年、オズワルドは除隊記録の名誉回復を求めてコナリー宛に直訴状を送っていますが、その訴えは受け入れられませんでした。このことから、「オズワルドにはコナリーに恨みを抱く動機があったのではないか」とする説があり、裏を返せば「コナリーは自分が狙われることを恐れて先手を打った(オズワルドを謀略に利用しつつケネディを葬った)」という極端な推測も存在します。実際、事件当日にオズワルドが放った弾丸の一発はコナリー自身にも命中し重傷を負わせましたが、陰謀論の中には「コナリーの負傷は計画の一部で、疑惑を逸らすための演出だった」という過激なものもあります(自作自演負傷説)。この見方では、コナリーはわざと自分も被弾する危険を冒すことで、真犯人として疑われにくい立場を手に入れたということになります。もちろん公式にはコナリーの負傷はオズワルドから放たれた「単発の魔法の弾丸(シングルバレット)」によるものとされていますが、陰謀論者はこの公式説明自体を不自然だとし、コナリー負傷にも別の真相があるのではないかと勘繰っています。
  • 沈黙の裏にあるもの: コナリー自身の言動にも動機に関する示唆を見出そうとする論者がいます。コナリーは生前、公にはウォーレン委員会の結論(オズワルド単独犯)を支持していたものの、私的な場では「あの報告書の結論を一瞬たりとも信じたことはない」と語り、「国のために当時は沈黙した。自分が信じていることを公に語るつもりはない」と発言していました。1982年にジャーナリストの問いに答えたこの言葉は、コナリーが**公式発表とは異なる自身の「信じる真実」**を胸の内に秘めていた可能性を示唆しています。陰謀論者の中には「コナリーはまさに自分が共謀した陰謀の真相を知っていたからこそ墓場まで持って行ったのだ」と解釈する者もおり、その沈黙自体を動機隠蔽の証拠とみなす向きもあります。

以上のように、ジョン・コナリーがケネディ暗殺に手を染めたと仮定した場合に考えうる動機としては、政治的権力の確保(ジョンソン政権樹立)、地元テキサスの財界利益の擁護、ケネディおよびその周辺との思想的・人間的軋轢、さらには裏で糸を引く勢力からの圧力や誘いといった複合的な要因が挙げられます。陰謀論的資料ではこれらの要素がしばしば結び付けられ、「テキサスの保守派ネットワーク(ジョンソン、コナリー、石油資本、諜報機関、マフィアなど)の共同謀議」として描かれています。信憑性の判断は別として、コナリー犯行説を成立させうる動機の観点では、以上の事実や証言が状況証拠的にその可能性を後押しする材料となり得ると言えるでしょう。


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